04.14
「トキワ荘の青春」という映画を観て
先日「トキワ荘の青春」という映画を観ての私のツイートが、妙に広がってしまいました。
ツイートは、簡単にまとめると
〜 水野英子先生の『トキワ荘日記』を読んだら、殆どの先生のお母様方が来ていて家事一切をされていたと書かれてた。他の先生方は書いてない。映画にも母親はほとんど出て来ない(1人だけ)。出て来ないからいなかったとは思わないようにしたい 〜
という内容でした。
その後「他の先生方は書いてない」は間違いであったとわかりました。
心よりお詫び申し上げます。
その部分は削除して書き直し、再ツイートしました。(4月12日「書き直しです。」で始まるツイート)
それでも誤読される方もいます。「先生方を貶めようとしている」とまで。
それは何故かと考えるに、昭和30年生まれの私との認識の差かもしれないと思いました。
トキワ荘に石ノ森先生のお姉様がおられたことや、赤塚先生のお母様が皆さんのお世話をされていたことは、私の年代なら小中学生の頃から存じてます。
ツイートに書かなくても周知のことと思っていました。
ただ私には赤塚先生のお母様と石森先生のお姉様のことだけが強い印象だったのです。
それが漫画や映像から生まれた、世間一般のトキワ荘イメージだったとは思います。
それで水野先生のエッセイを読んだ時「赤塚先生以外のお母様もいたのか」と驚いたわけです。
不明で申し訳ありません。
また、なぜか「私は水野先生が書いた本で知った」という単なる事実の記述に「ジェンダー論にするとは許せない」という方もおられたようです。(不勉強で「ジェンダー論」についてはよく知りません)
ツイートには書きませんでしたが、水野先生ならではの視点だと思いました。
私がそう思っていたことを見抜いて「許せない」と思われたということでしょうか?
例えばA先生だけが書かれた文章があって、それが私の印象に残ったとしたら…寺田先生だけが書かれた…森安先生だけが書かれた…等、どなたでも、そういうものを読んだら私は、その先生ならではの視点だなと思います。
そう思うことも同様に「許せない」ことでしょうか。
ともかく1番びっくりした誤読は「上げ膳据え膳で楽ちんだったのか」と受け止められたことです。
現場を想像したらそうは思われないでしょう…とは思いましたが、
世代が違うと、あの時代の漫画事情を想像するのは無理?なのかもしれませんね。
当時の漫画雑誌の無茶振りは、昔の編集さんから聞くに、もの凄いです。
当時の子どもとして思い出しても、あの頃は少ない漫画家がどの雑誌にも載っていたものです。
とんでもない依頼を引き受けて、アシスタント体制もまるで整っていない中で、よくぞこなされたことと思います。
1秒も惜しんで仕事されたことが想像できます。
そしてひとつ仕事を終えたら、今後の仕事のためにインプットも必要です。
全ての時間を漫画に関わることに使ったのではないでしょうか。
数々の名作を読ませてもらった当時の子どもとして、感謝にたえません。
サポートなしでは絶対に無理なことです。
性別関係なく、何の仕事でも、表も裏方もどちらも大事な仕事です。
サポートをされたご家族の皆様にも感謝いっぱいです。
映画側もその辺取材されていたと思いますが、取材したことすべてを映画にしないのは当たり前です。
描かれなかったことに文句を言うつもりは、微塵もありません。
私は誰のことも、映画のことも批判していません。
切ない、いい映画でした。特にラストシーンの見事なこと。
ただ映像から受けるイメージは強いものです。
創作物の映像作品を「これが全て」と思い込まず、描かれなかったものも色々あることを、忘れずにいたいと思ったのです。
長々と失礼いたしました。